日本人形 捨て方

大目に見てやってください。

皆さんは 「哲学的ゾンビ」 ですか??

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突然ですが、皆さんはこう思った事はありませんか?

 

 

 

(本当は今自分が見えている視界以外は真っ暗な無の世界であってここは自分専用に創られている場所なんじゃないか?)

 

(自分以外の人間は機械的に感情を表しているだけで本当に生きてるのは自分だけなんじゃないか?)

 

(そしてこう思っているのももしかしたら自分だけなのか?)

 

 

 

え?思わない??あー……すみません。もう少し辛抱して読み進めてください。あっページ閉じないで!!!

 

 

 

 

 

 

ブラウザバックしなかった皆様、ありがとうございます。話を続けます。

 

ちなみに自分は今も思ったりします。

「それヤバいねw」って言ってる隣の友人は何の主観的な感情も持たずにただ機械的に処理されて言葉に発しているんじゃないかと考えたり上述の通り自分の視界に合わせて世界が動いているだけで真後ろには何も無くてここは自分のためだけに創られている世界だとかあらゆる事を考えて勝手に頭を悩ませていました。

 

ただこんな事はある訳ないし、そうだとしても他の人に話してもどうせ機械的に処理されるだけだから言っても無駄だと思いずっと心の中に閉じ込め続けていました。

 

そんなある日、ネットで 哲学的ゾンビという哲学用語があることを知りました。

 

 

 

 

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皆さんは「ゾンビ」と聞いて思い浮かべるのはやはり上のような画像ですよね。

とてもグロい見た目でいくら殴っても立ち上がり襲ってくる、動きがとてもゆっくりで自我がない というのが一般的なゾンビのイメージだと思います。

映画やマンガにもよく出てきますね。

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(出典:がっこうぐらし!)

 

 

しかし哲学的ゾンビとは全く別の存在なのです。

 

 

 

       🤯哲学的ゾンビとは🤯

 

まず哲学的ゾンビの定義としては、

外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間

とされます。

 

 

 

 

 

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????????

 

そうですよね。こんな顔になりますよね。もう少しわかりやすいように説明したいと思います。

 

まずクオリアという謎の単語が出てきたことについてですが、Wikipediaから丸々引っ張ってくると

クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。

外部からの刺激(情報)を体の感覚器が捕え、それが神経細胞の活動電位として脳に伝達される。すると何らかの質感が経験される。例えば波長700ナノメートルの光(視覚刺激)を目を通じて脳が受け取ったとき、あなたは「赤さ」を感じる。このあなたが感じる「赤さ」がクオリアの一種である。

という感じです。つまり

 

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あなたがまずリンゴを見たとします。その時に

 

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リンゴを脳が認識し「赤い」「丸い」「美味しそう」などの情報を感じ取ることがクオリアだそうです。

 

 

つまり哲学的ゾンビとは、

 

見た目は全く普通の人間と区別が付かず客観的には生き続けているが意識が無く主観的感覚を持っていない存在

 

であると言えます。

私たちが知っている身近な例で紹介すると「荒野行動」「PUBG」で出てくるBOTが完璧にプレイヤーと見分けがつかずに存在しているということになります。

 

隣に座っているおじさんの「今日は暑いな」も、思いを馳せているあの子の「一緒に帰らない?」も何の感情も無くただ機械的に処理されて声となって外に放出されているだけ。そいつらが哲学的ゾンビなのです。怖ッ

 

 

 

 

 

 

哲学的ゾンビは見分けられるか?

 

正直、わかりません。相手の心を読み取る予知能力者がいたなら話は別ですが。

しかし哲学的ゾンビの完璧さによっては多少わかるのではという点もあるそうで、例えば

あくび

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あくびってうつりますよね?それは実は他者と同じ行動をとってしまう「行動伝染」現象の一つということが研究で明らかにされています。

親しい人ほどあくびはうつりやすく知らない人のはうつらないという報告もあるそうで、自閉症や精神異常者の人はあまりうつらないとも言われています。

あくびがうつるという事は無意識に起こることであり、「無意識」は「意識」の中に潜伏しているものと自分は考えています。つまり、身の回りであくびがうつらない友人などは哲学的ゾンビであるかもしれないということが主張できます。

 

ちなみにあくびが出る理由は、たくさん酸素を供給するためでなく、脳を冷却させようとするためらしいですね。あくび、興味深い。

 

 

しかしこの仮定も哲学的ゾンビがこれらの行動も熟知しており高レベルな哲ゾン(哲学的ゾンビ)であるとしたらほぼ見極めは無理だと思われます。なので、誰が人間で誰が哲学的ゾンビか不明なまま日常生活を今も過ごしていることになります。

 

 

 

 

貴方の周りにいる人は、本当に人間ですか????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここまで書いてきたわけですが、あくまで哲学的ゾンビが存在するかどうかは全く不明であり、「こいつバカじゃねぇの?」と今見ている皆さんが僕は狂ってると思うのも仕方がありません。こうなった時に哲学的ゾンビについて討論というかお話すべきことになった際に自分自身が哲学的ゾンビでないことを証明しなくてはいけません。

 

無い。

証明する方法が一つもない。何故なら完璧に見極める方法もないしそのことについて話している相手が哲学的ゾンビかもしれないしいくら話したってもはや暖簾に腕押し。

そもそも哲学的ゾンビは他人はおろか自分でも「自分は哲学的ゾンビだ」と認識することはできず、人間と哲学的ゾンビを区別できる方法もない。今こうやってこの記事を見ている脳も本当に正しいクオリアを持って電気信号を張り巡らしているのかも証明つきません。

 

ただ自分が哲学的ゾンビだとしてもこの世界はは何の引っ掛かりもなく動き続け、哲学的ゾンビ達の「中身の無い」コミュニケーションは絶え間なく行われるでしょう。

 

朝起きたら、「自分」は内面的に死亡してしまって、「自分の意識」が消滅してしまったとしても自分の体は全く思ってもいない、いや思うことが出来ない脳「いい朝だ」などと口に発し、「美味しい」と口に発しながら仲良く友人と食事をしたりと、今までと変わらず生活ができるのである。それでも別にいいのではないか??

 

 

もし、自分だけがこの世界で哲学的ゾンビでないとすると哲学的ゾンビから見て逆に自分が異質な存在であることはもちろんわかりますね?

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もう一度聞きます。

 

 

 

 

貴方だけが、まだ哲学的ゾンビではないのですか????