性癖ドストライクのAVを見たら人生が変わった
「すまん。初めに言っておくが今から君達は人生のうちの大事な2分くらいを無駄にする。それでもいいね?」
「はい!安室常務!」
ニコォ……
・
・
・
ということで快く受け入れてくれた社員の皆さん、こんばんは。
最近、受験生ということもあり部活を引退してから生活がものすごく平凡というか刺激がない状態で寝て飯食って寝てを繰り返していたのですが(勉学は置いといて)、やはりつい息抜きでしてしまいますよね……
ヌキヌキ。
私事でありますが部活を引退してから格段に回数が増え、将来有望だった我がDNA達が大量に虐殺されてゴミ箱へ捨てられてしまっているという悲惨な状況。これには性器クリトリス……いや聖キリスト教会も黙っておらず「無益な殺生は辞めなされ」と毎晩家を訪れてくるわけなのですが、こちとら元から行為は少ないものの内に性欲を日頃から秘めてあるタイミングで一気に爆発させるヒステリックオナニータイプであり、以前1ヶ月オナ禁というかの有名なアリストテレスでも達成出来なかった偉業を成し遂げているわけでそのような忠告は一切聞き入れておりません。
そんなヒステリックオナニータイプを持つ私が1日に2回以上抜くとなると困るのが、
オカズ。
(大学芋っておかずじゃなくてスイーツだよな?)
基本2次元、3次元を同じくらい好むという大谷翔平もビックリの両刀な私ですが、どっちの気分かというのは日によって全然変わってきます。(なんか今日は物質として存在している女に魅力を感じない……便器を舐める渋谷凛が見たい)
と思う日もあれば、
(2次元で抜くとか陰キャオタクだろw女の肉体をぶち犯してぇ……レイプの合法化に署名を)
と思う日も様々です。
たまにこの2次元と3次元の狭間で死ぬほど葛藤して結局2.5次元に逃げるとかいう死刑囚も絶対にやってはいけないとわかってることをやってしまうこともしばしば。
これは絶対に「ナイ」
そんな私ですが、時は遡ること一週間ほど前、ウェイモード(3次元の気分)でひたすら自分好みのシチュのキーワードでAVを漁っていたのですが
そこで見つけたAVが我が性癖にジャストフィット。
作品名は教えるつもりはありませんが、とにかく女優の顔もタイプ、ボディもドスケベ、シチュエーションも完璧という三拍子揃ったものを発見してしまい気分は最高潮。普段は日直の時の放課後の掃除かのように早く済ませてしまっていたオナニーですがその時はまさかの90分。しかもハーフタイムもちゃんと入れました。
絶対に負けられない戦いがそこにはあったんです。
そして出す時の勢いが自分でもビックリしました。
普段は
まあ例えるならこの程度の勢いでしょう。(射精の勢いをおばあちゃんで例えるのはものすごくやってはいけないことをしてる気がする)
なのですが
その時の勢いは
こんな感じ。
こんな躍動感ある射精は今まで経験したことなかったです。生命の神秘を感じたというか何だろう、「生きたい!!!!」という気迫が精子から伝わってきました。まぁ捨てたんだけど。
だがしかし。
一つ、そのAVについて納得いかない点がありまして、
かいパンやろうのコスプレAV??
違います。この作品3時間ほどあるのですが、3時間ずっとこの男優がプールをうろちょろしてるんです。なんか可愛い女の子だらけでキャッキャウフフしてるプールにずっと居座るこいつを観てたら腹立ってきまして。
ウロウロすんな。
お前透明人間モノと勘違いしてんのか?何堂々と女子の近くを我が物顔でバシャバシャ歩いてんだよ。泳げよ。そのゴーグルなんなんだよ。
そして女子達に近づきすぎた結果悲鳴を上げられしまったかいパンやろう。何笑ってんだこの野郎。この時めっちゃ女子達が嫌がってて笑いました。
おい!!!!そこ危ねぇぞ!!
プールの授業で習わなかったか。ウォータースライダーで落ちてくる人の近くでは立ち止まってはいけないと。怪我したらどうすんだこの道徳ゼロ野郎。
ですがまぁこの人のおかげで私達はいいモノを見せてもらってるんですけどね。ありがたや。
話は戻りますがこのAVの一番の魅力はプールで遊んでいる時の女の子達の演技が自然すぎる。ほんとにこんな感じなんだろなという感じがひしひしと伝わってきてそこからのエッチな行為というギャップがたまらなく股間に来ました。
なのでこのAVを観た翌日は、クラスの女子達の行動一つ一つにも感謝を持って観察させてもらい、もうこの先二度と経験できない学校生活を悔いの残らないようにしっかり心に刻んでおけとこのAVは教えてくれました。
ちなみに、次の日同じAVの同じシーンで抜いたところ、前の日の反動で全く出なかったので、私はあの時の射精をハイドロカノンと呼んでいます。
・
・
・
「どうだい?ここまでスクロールの運動によって負荷がかかってしまった指、スマホから出るブルーライトの影響を受けてしまった目、そしてここまで読んできてかかった時間、それらを犠牲にしてまで読むようなものだったかい?まぁ私はこのAVの魅力を伝えられて満足だよ。みんなもぜひ観てはどうだろうか?」
「はい!安室常務!」
皆さんは 「哲学的ゾンビ」 ですか??
突然ですが、皆さんはこう思った事はありませんか?
(本当は今自分が見えている視界以外は真っ暗な無の世界であってここは自分専用に創られている場所なんじゃないか?)
(自分以外の人間は機械的に感情を表しているだけで本当に生きてるのは自分だけなんじゃないか?)
(そしてこう思っているのももしかしたら自分だけなのか?)
え?思わない??あー……すみません。もう少し辛抱して読み進めてください。あっページ閉じないで!!!
ブラウザバックしなかった皆様、ありがとうございます。話を続けます。
ちなみに自分は今も思ったりします。
「それヤバいねw」って言ってる隣の友人は何の主観的な感情も持たずにただ機械的に処理されて言葉に発しているんじゃないかと考えたり上述の通り自分の視界に合わせて世界が動いているだけで真後ろには何も無くてここは自分のためだけに創られている世界だとかあらゆる事を考えて勝手に頭を悩ませていました。
ただこんな事はある訳ないし、そうだとしても他の人に話してもどうせ機械的に処理されるだけだから言っても無駄だと思いずっと心の中に閉じ込め続けていました。
そんなある日、ネットで 「哲学的ゾンビ」という哲学用語があることを知りました。
皆さんは「ゾンビ」と聞いて思い浮かべるのはやはり上のような画像ですよね。
とてもグロい見た目でいくら殴っても立ち上がり襲ってくる、動きがとてもゆっくりで自我がない というのが一般的なゾンビのイメージだと思います。
映画やマンガにもよく出てきますね。
(出典:がっこうぐらし!)
しかし哲学的ゾンビとは全く別の存在なのです。
🤯哲学的ゾンビとは🤯
まず哲学的ゾンビの定義としては、
外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間
とされます。
????????
そうですよね。こんな顔になりますよね。もう少しわかりやすいように説明したいと思います。
まずクオリアという謎の単語が出てきたことについてですが、Wikipediaから丸々引っ張ってくると
クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。
外部からの刺激(情報)を体の感覚器が捕え、それが神経細胞の活動電位として脳に伝達される。すると何らかの質感が経験される。例えば波長700ナノメートルの光(視覚刺激)を目を通じて脳が受け取ったとき、あなたは「赤さ」を感じる。このあなたが感じる「赤さ」がクオリアの一種である。
という感じです。つまり
あなたがまずリンゴを見たとします。その時に
リンゴを脳が認識し「赤い」「丸い」「美味しそう」などの情報を感じ取ることがクオリアだそうです。
つまり哲学的ゾンビとは、
見た目は全く普通の人間と区別が付かず客観的には生き続けているが意識が無く主観的感覚を持っていない存在
であると言えます。
私たちが知っている身近な例で紹介すると「荒野行動」や「PUBG」で出てくるBOTが完璧にプレイヤーと見分けがつかずに存在しているということになります。
隣に座っているおじさんの「今日は暑いな」も、思いを馳せているあの子の「一緒に帰らない?」も何の感情も無くただ機械的に処理されて声となって外に放出されているだけ。そいつらが哲学的ゾンビなのです。怖ッ
哲学的ゾンビは見分けられるか?
正直、わかりません。相手の心を読み取る予知能力者がいたなら話は別ですが。
しかし哲学的ゾンビの完璧さによっては多少わかるのではという点もあるそうで、例えば
あくび
あくびってうつりますよね?それは実は他者と同じ行動をとってしまう「行動伝染」現象の一つということが研究で明らかにされています。
親しい人ほどあくびはうつりやすく知らない人のはうつらないという報告もあるそうで、自閉症や精神異常者の人はあまりうつらないとも言われています。
あくびがうつるという事は無意識に起こることであり、「無意識」は「意識」の中に潜伏しているものと自分は考えています。つまり、身の回りであくびがうつらない友人などは哲学的ゾンビであるかもしれないということが主張できます。
ちなみにあくびが出る理由は、たくさん酸素を供給するためでなく、脳を冷却させようとするためらしいですね。あくび、興味深い。
しかしこの仮定も哲学的ゾンビがこれらの行動も熟知しており高レベルな哲ゾン(哲学的ゾンビ)であるとしたらほぼ見極めは無理だと思われます。なので、誰が人間で誰が哲学的ゾンビか不明なまま日常生活を今も過ごしていることになります。
貴方の周りにいる人は、本当に人間ですか????
さて、ここまで書いてきたわけですが、あくまで哲学的ゾンビが存在するかどうかは全く不明であり、「こいつバカじゃねぇの?」と今見ている皆さんが僕は狂ってると思うのも仕方がありません。こうなった時に哲学的ゾンビについて討論というかお話すべきことになった際に自分自身が哲学的ゾンビでないことを証明しなくてはいけません。
無い。
証明する方法が一つもない。何故なら完璧に見極める方法もないしそのことについて話している相手が哲学的ゾンビかもしれないしいくら話したってもはや暖簾に腕押し。
そもそも哲学的ゾンビは他人はおろか自分でも「自分は哲学的ゾンビだ」と認識することはできず、人間と哲学的ゾンビを区別できる方法もない。今こうやってこの記事を見ている脳も本当に正しいクオリアを持って電気信号を張り巡らしているのかも証明つきません。
ただ自分が哲学的ゾンビだとしてもこの世界はは何の引っ掛かりもなく動き続け、哲学的ゾンビ達の「中身の無い」コミュニケーションは絶え間なく行われるでしょう。
朝起きたら、「自分」は内面的に死亡してしまって、「自分の意識」が消滅してしまったとしても自分の体は全く思ってもいない、いや思うことが出来ない脳で「いい朝だ」などと口に発し、「美味しい」と口に発しながら仲良く友人と食事をしたりと、今までと変わらず生活ができるのである。それでも別にいいのではないか??
もし、自分だけがこの世界で哲学的ゾンビでないとすると哲学的ゾンビから見て逆に自分が異質な存在であることはもちろんわかりますね?
もう一度聞きます。
貴方だけが、まだ哲学的ゾンビではないのですか????